古典会だより-松-

003△松はマツ科の常緑喬木。葉は針状で、二本葉のアカマツ・クロマツが多いのですが、五本葉のゴヨウマツ五葉松、チョウセンマツ・ヒメコマツ・ハイマツ、さらに一本、三本のものやカラマツのように落葉種もあり、世界では百種を超えます。松まつの名は樹齢が長く、風雨に耐え、霜雪の時をよく過ごし、常緑の色を堅固に保つのを、褒めての美称とされます。△七一二年纂『古事記』歌謡に、「尾張にただに向かへる、をつの崎なる一つ麻津マツ」が文献の最初とされますが、同時期の『風土記』の樹木名にもあります。ところがさらに古く、三世紀の三角縁神(仏)獣鏡に笠松の図が確認できます。また、七五〇年ころ正倉院御物「鳥毛立女屏風」背景に松が描かれています。

004△松の根は頑健で、年を経て地上に広く延び、特に海岸に沿って防風のクロマツ松林や松原では、根上がり松になります。幹の樹皮はアカマツが赤褐色、クロマツが灰褐色で、樹齢を重ねると亀甲が現れます。因みに松茸はアカマツ林に生える香りよしの秋の味覚です。

△根と幹には樹脂があり、古来松明たいまつとして照明用に使われ、
○階のもとに、松ともしながらひざまづきて 『大和物語』
○粟田口といふ所にぞ、京より松もちて、人きたる 『蜻蛉日記』

△現代では松脂マツヤニは樹脂から採取して塗料溶剤やゴム、防水剤の溶媒に、またセッケン、くつ墨、ハエ取り紙、医薬品など用途多様、さらに松の幹は建築材に有用で、小屋組材野物から化粧材と実に多用です。近年、百年前の杭が注目され、土中で腐り難く、松丸太は土留め、杭に使用されました。幹はまた良い薪炭になり、松葉は格好の焚き付け、油が多いので煤が出ますが、この煤を集め、膠にかわで練って香料を加えて型に入れ固めると墨になり、硯ですって書画必需品の一です。

△実用だけでなく、風雪をしのぎ、常緑で盤石の姿の松は、古くから長寿や慶賀お祝いを表わすものとして尊ばれています。正月門松のほか、正月子の日小松の根を引く遊びがありました。

『土左日記』に、
見渡せば、松の梢ごとにすむ鶴は、千代の仲間とぞ思ふべらなる

△松と鶴は長寿の象徴とされます。平安中期の『枕草子』には、
○かきまさりするもの、松の木、秋の野、山里、山路
○大きにてよきもの家、餌袋、法師、くだもの、牛、松の木、硯の墨

002『梁塵秘抄』には、
○我君を何にたとへむ、浦に住む亀山の巌稜に生ひたる松にたとへむ
○新年春来れば門に松こそ立てりけれ、松は祝ひのものなれば、君が命ぞ長からむ。(これは門松風習です。)
○風に靡くもの、松の梢の高き枝、竹の梢とか、海に帆かけて走る船、空には浮雲、野辺には花すすき
○月影ゆかしくは南面に池を掘れ、さてぞ見る、琴のことの音聴きたくは、北の岡の上に松を植えよ
○海にをかしき歌枕、磯辺の松原琴を弾き、調めつつ沖の波は磯に来て鼓打てば、みさご浜千鳥舞ひ傾れて遊ぶなり
○幣束は、散るかと見れば住吉の松などの木間より漏らん月をばや、如何せんずる
○波も聞け、小磯も語れ松も見よ、我を我といふ方の風吹いたらば、何れの浦へも靡きなむ

『閑吟集』には、
○かすみ分けつつ小松ひけば、うぐひす野辺にきく初音
○めでたやな松の下、千代もひくちよ、千世千世と
○しげれ松山、しげらふには、木かげにしげれ、まつ山
○我らもちたる尺八を、袖の下よりとりいだし、しばしは吹ひて、松の風、花をや夢とさそふらん、いつまでか、この尺八吹いて、心をなぐさめむ

001『徒然草』には、
○(元旦は)昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめずらしき心地ぞする、大路のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこそ、また、あはれなれ
○家にありたき木は、松・桜、松は五葉もよし

△また松に待つをかけて、古今和歌集には、
○立ち別れいなばの山の峯に生る松 とし聞かば今帰りこむ
閑吟集には、
○つれなき人を、松浦の奥に 唐船のうきねよのう

△一方、「松・竹・梅」などと順位をつける時、松は最上位を表し、「松の内」は元旦から七日まで、「松の言の葉」は『古今和歌集』仮名序から和歌の異称、「松の齢」は長寿、「梅も散り桜も散りて松の魚」は鰹を言い、「松羽目板」は能舞台の鏡板で、老松を描き、能楽の大成者世阿弥の「衆人愛敬、寿福増長」を表わしています。

△謡曲『高砂』の祝言は松になぞらえての除災・福寿の願いでしょう。
さす腕には、悪魔を払い、納むる手には、寿福を抱き、千秋楽は民を撫で、万歳楽には命を延ぶ、相生の松風、颯颯の声ぞ楽しむ