アーカイブ

慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その13-

○十月三日、晩がた請益・留学の両僧は、平橋館①に往く。大使・判官らの入京のために別(わかれ)を作した。長判官、すなわち長岑高名判官にあい諮って云うに、「両僧の情願の状を得て、将に京都(長安)に到って、聞奏し、早く符を得せしむる者なり」と。符とは円仁らが天台山に旅行する許可である。
続きを読む

慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その11-

○承和五年・唐開成三年(八三八)九月一日、異事無し。開元寺の西より河①を渉れば、無量義寺②が有る。老僧が有り、名は文襲、春秋七十、新たに維摩経記五巻を作る。今、老僧は堂裏でその疏記を講じている。多く僧肇・道生・道融、及び天台大師智顗禅師らの義記を用いている。近寺の諸僧が集まって来てこれを聴聞する。聴衆はすべて三十八人、文襲和尚を敬って尊重している。
続きを読む

慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その10-

○承和五年・唐開成三年(八三八)八月二十六日、李相公(節度使李徳裕)配下の遊撃将軍沈弁が来て諮問した。沈弁は使者に蜂蜜一瓶①を送らせてきた。請益法師、すなわち円仁は開元寺僧百人を供養、すなわち食事を提供することになった。寺の僧の数は一百僧、そこで円仁ら求法僧は沙金二両を設供料として出し、留学僧もまた二両を出し、総計して金小四両②を寺の役所に送った。綱維・監寺という寺の役職が集まって算定すると大一両二分半という。ただちに開元寺に報告し、須く金数を具し、さらに節度使の役所に報じて主決済処分して空飯を準備することになった。その公文書は次である。

続きを読む

慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その9-

八月二十五日、早朝、綱維の請いが有り、そこで開元寺の庫裡に行って粥を喫した。朝粥を食した①のである。午の時(正午十二時)に至るころ、三論留学僧常暁師②が慰問に来て談話した。開元寺側が食事の供物を提供してくれたので、円仁らは常暁師と斎食した。常暁師は巡回して宿舎の館に帰った。

続きを読む

慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その8-

十日、辰の時(午前八時)、請益・留学の両僧が随身携帯物などの斤量の数を記録して、節度使役所に提出した。そこで第二船が海州に着いたのを聞いた。乗船の新羅訳語朴正長が揚州金正南の房に書信を送ってきた。午の時(正午十二時)、昨日の勾当日本国使王友真が来て、言うには、節度使李徳裕は遣唐使一行到着報告を朝廷に奏上している。今朝廷からの勅書の渡来を待っている。それで台州へ出発することができる。王大使はさらに留学僧をとりあえず揚府①に住せしめ、請益僧の円仁らは、勅書の到来を待たず、台州へ行かせようとして節度使李徳裕に文書を送った。二、三日経って節度使から返事が来た。すぐ出発は不可だ。台州行きを許す皇帝の勅書が必要だという返事である。ただし、その間は開元寺に住してよい。船師佐伯金成は疫痢を患って数日経った。

続きを読む