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慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その27-

○開成四年正月六日、相公節度使李徳裕の随軍沈弁が来たりていう、「相公の伝語では、今月初五日より、國のためならびに銭を得て、開元寺栴檀瑞像閣を修せんがために孝感寺に寄りて講経し募縁せしめんとす。乞うらくは本国(日本国)の和尚よ特に到り聴講し、兼ねて日本国の諸官らをして結縁し捨銭を催すものなり」と。
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慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その25-

○十二月九日、本国判官藤原朝臣貞敏は開元寺において斎を設け、銭五貫六百銭を出して新に画ける阿弥陀仏・妙見菩薩・四天王像ならびに六十余人の衆僧に食を作し、供養せしめた。またこの日をもって、龍興寺法花院の壁に南岳・天台両大師像を写①させた。
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慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その23-

○十一月二十九日、天晴れ、揚州四十余寺有り。なかんずく、過海して来る鑑真和上①の本住せる龍興寺は、和上の影像が現在す。法進僧都②の本住は白塔寺なり。臣善③なるものこの白塔寺にありて「文選」を撰す。恵雲法師④もまたこれ白塔寺の僧なり。
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慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その21-

○十一月十九日、廿四日の天台大師忌日の設斎①に宛てるがため、絹四疋・綾三疋を以て寺家に送れと言われ、留学僧が絹二疋、円仁ら請益僧が綾三疋、絹三疋である。なぜか合計すると絹一疋が増した。書状をそえて寺家に送らせた。その状は別紙にある。金額で銭六貫余銭である。
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慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その20-

○十一月十六日、書状の啓を作り、相公李徳裕に提出し相公が開元寺に来て慰問してくれたことに感謝の気持を伝え、兼ねて少々の物を贈呈しました。水精(水晶)の念珠二串、銀装の刀子六柄、斑竹の筆二十管、螺子(法螺ホラ貝)①三口、別に贈状を作り、あい同じく函(ふみばこ)にうちに入れ、それらは相公の随軍②沈弁太夫にもたせ交付させました。

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慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その17-

○十月二十四日、人を雇って、受戒して出家となった惟正らの坐具2箇を作らせた。当開元寺の僧貞順またこの人を雇うことに責任をもってくれた。坐具一条の料金は、絁(つむぎ)二丈一尺①である。表は八尺四寸、裏八尺四寸、縁料四尺二寸。二つの坐具の料は、すべて計四丈二尺となり、作り手の功(手間賃)は一つを作るに二百五十文を用いる。二つで五百文である。

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