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【漢字講座】第31 歌(か・うた)

五月一日からの新しい年号の令和(れいわ)は『万葉集』巻五、梅の歌三十二首の序文から取りました。万葉集は日本の歌、和歌約4500を集めた歌集です。これまで令・和という二字の漢字について2回ほど考えてみました。今回は歌という漢字について考えてみます。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その21-

仏像の地域的偏差 これまでも述べましたが仏像は紀元前後の時代に、西北インドからアフガニスタン地方に居たギリシャ人植民の人々の間で、お釈迦さまの生涯や様々な伝説を彫刻に造形したガンダーラ仏が最初の仏像でしたが、釈迦のさとりを開く伝承を忠実に造形化して、苦行に打ち込む釈迦、思索する釈迦、菩提樹の下で悟りを開き、それを人々に説法する釈迦などが極めて写実的に作られました。それに対してインド北部のマトゥラーではガンダーラ仏の制作とほぼ同じ時期にガンダーラ仏とは全く異なる表現で造像された釈迦仏が出現しました。その特徴はまず悟りを開いた喜びを全身で表そうとする釈迦の像で、目を閉じた、或いは半眼にして難しい顔をするガンダーラ仏とは全く反対に、両目をぱっちり開き、満面に笑みを浮かべた歓喜の表情のお釈迦様がマトゥラー仏の特徴です。しかも、ガンダーラ仏が紀元1~2世紀に中央アジア・西域地方を経て後漢時代の中国に伝播するのとほぼ同時期に、チベットを経て、四川地方の中国に到着しています。
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慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その35-

○二月二十一日、早朝、発ちてゆく。遣唐使従者粟田家継は先日、物を買うために船を下りて市に往く。所由すなわち係の役人が捉縛して州役所に抑留されたが、今日釈放されてここに来た。同じく第四舶の射手も免ぜられて到着した。江陽県の廻船堰に到って夜宿した。
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古典会だより-お盆さん-

近年、考古学の発展はめざましく、沖縄県での約2万4000~1万6000年前の旧石器時代、或いは千葉県千葉市の特別史跡加曽利貝塚の縄文時代中期から晩期(約3000年前)の発掘遺跡などから、日本では可能な限り、死者を丁寧に葬り、その後も、共に生き続けてきました。七月は盆月とも言われ、旧暦では秋のはじめ、所によっては月遅れの八月です。 続きを読む

釈迦如来、お釈迦さまの話-その20-

如来像の差異と三尊形式の発生 初期の仏像はお釈迦さま、釈迦仏の像で、なかには過去仏を表わしている場合もありますが、まったく同形像で区別はつきません。大乗の諸仏、薬師仏、阿弥陀仏の像が仏像の初期の時代に含まれていたか否かは不明です。逆に言えば薬師仏、阿弥陀仏の像が何時頃から制作されたかの究明は実はかなり難しいのです。 続きを読む

古典会だより-衆人愛敬しゅうにんあいぎょう寿福増長じゅふくぞうちょう-

延喜5年(905)撰集の『古今和歌集』仮名序に「やまとうた(和歌)は、人の心をたね(種)として、よろづのことの葉とぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思ふことを、見るもの、聞くものにつけて、言ひいだせるなり。・・・ちから力をも入れずして、あめつち天地を動かし、目に見えぬ鬼神をも、あはれと思はせ、おとこ女の仲をもやはら和げ、たけき猛もののふ武士の心をも、慰むるは歌なり」と歌の真意を述べています。 続きを読む

【漢字講座】第28 令(れい・よい)和(わ・やはらぐ)

五月一日からの新しい年号が決まりました。令和(れいわ)です。『万葉集』巻五、梅の歌三十二首のはじめに次の文章があります。
○天平二年正月十三日に、帥の老の宅にあつまりて、宴会をひらき。時に、初春の月にして、気よく風(やはら)ぎ、梅は鏡前の粉をひらき、蘭は珮後の香を薫ず。
令月の令と風和ぎの和で令和としたというのです。そこで令・和という二字の漢字について考えてみます。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その19-

仏像の展開 初期の仏像はお釈迦さま、釈迦仏の像で、なかには過去仏を表わしている場合もありますが、まったく同形像で区別はつきません。大乗の諸仏、薬師仏、阿弥陀仏の像が仏像の初期の時代に含まれていたか否かは不明です。逆に言えば薬師仏、阿弥陀仏の像が何時頃から制作されたかの究明は実はかなり難しいのです。それよりもインド・西北インドから北廻り、南廻り、あるいは西まわりで世界各地に広がった跡を追跡する必要があります。
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