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古典会だより-秋の七草 おみなえし(女郎花)-

万葉集』に山上憶良(660-733)の「秋の野に 咲きたる花を 指折り かきかぞふれば 七種の花」「萩の花、尾花、葛花、瞿麦の花、女郎花、また藤袴、朝顔の花」とありますが、秋の七草は日本固有種で、「ハギ、ススキ、キキョウ、ナデシコ、オミナエシ、クズ、フジバカマこれぞ七草」と親しみ口づさまれ、千三百年以上も前から観賞用として姿、形、香りの良さが愛されて来ましたが、食用、薬用、建築工芸用にと、実に多様で有用なものでした。
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【漢字講座】第32 菊(きく)

秋の花は何と言っても菊です。今回は菊という漢字を考えてみます。
菊は草本ですので草冠が付きます。その下に真ん中に米の字を包むように大きな丸い花が見えます。いかにも菊らしい漢字です。ちなみに漢字の音が同じの麹という字は米に花が咲いたように見える漢字ですが、麦偏だから麦麹です。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その22-

仏像の意味 これまで述べたことをまとめながら考えます。ただ、ここでは当面、釈迦如来、お釈迦さまの仏像に限って考察します。インド古代初期ではもっぱら釈迦の伝記、本生話のような仏教説話図を扱った浮彫、レリーフが行われ、これは北伝・南伝、上座部系仏教、大乗仏教の差異なくその後永く継承されました。遺例はたいてい石造建築や石窟に付随して存在します。しかし仏像が出現し、その崇拝が盛んになると共に、彫刻は主として釈迦像、仏陀以下諸尊の仏像の制作に集中するようになりました。 続きを読む

慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その36-

○二月二十五日、真言請益僧円行法師①に相見えた。法師が語っていうには、「遣唐大使は京にあって再三、自分の請益のため寺裏に住せることを願い上奏したが許可されなかった。後にまた上奏したが僅かに青竜寺②に住することだけが許された。義真座主③の所において、十五日に胎蔵法を受け④、百僧に供養⑤したのだが金剛界法を受けなかった」と。
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古典会だより-お彼岸(ひがん)-

旧暦二月と八月(現行三月と九月)は彼岸月とも呼ばれます。地球の中心軸、地軸は23・5度南北に傾いており、自転(自分でまわる)して、昼夜を生じ、一年かけて太陽のまわりをまわり(公転)ます。日本は北半球のちょうど適度の緯度の位置にあるお蔭で春・夏・秋・冬の四季の恵みにあずかっています。また春と秋に2回太陽と地球が真横の位置になり、北と南に多少のズレはあるものの、日は真東から昇り、真西に沈み、しかも昼と夜の長さが同じになる、その日が春分・秋分です。三月二十一日ころの春分、九月二十三日ころの秋分の日の前後三日間を含めた七日間を彼岸と言い、初日を入(い)り、春分・秋分の日はお中日(ちゅうにち)、最後の日は明(あ)けと言われます。春分は、冬至から太陽が少しずつ勢いを増して来て、夜と昼の長さ、寒暖の差が変転する分岐点であり、秋分は、夏至から猛威を奮った太陽が勢いを弱め、昼と夜の長さ、暑さ寒さの節目と考えられ、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われます。時には「なに事ぞ彼岸過ぎてのこの暑(寒)さ」もありますが。
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【漢字講座】第31 歌(か・うた)

五月一日からの新しい年号の令和(れいわ)は『万葉集』巻五、梅の歌三十二首の序文から取りました。万葉集は日本の歌、和歌約4500を集めた歌集です。これまで令・和という二字の漢字について2回ほど考えてみました。今回は歌という漢字について考えてみます。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その21-

仏像の地域的偏差 これまでも述べましたが仏像は紀元前後の時代に、西北インドからアフガニスタン地方に居たギリシャ人植民の人々の間で、お釈迦さまの生涯や様々な伝説を彫刻に造形したガンダーラ仏が最初の仏像でしたが、釈迦のさとりを開く伝承を忠実に造形化して、苦行に打ち込む釈迦、思索する釈迦、菩提樹の下で悟りを開き、それを人々に説法する釈迦などが極めて写実的に作られました。それに対してインド北部のマトゥラーではガンダーラ仏の制作とほぼ同じ時期にガンダーラ仏とは全く異なる表現で造像された釈迦仏が出現しました。その特徴はまず悟りを開いた喜びを全身で表そうとする釈迦の像で、目を閉じた、或いは半眼にして難しい顔をするガンダーラ仏とは全く反対に、両目をぱっちり開き、満面に笑みを浮かべた歓喜の表情のお釈迦様がマトゥラー仏の特徴です。しかも、ガンダーラ仏が紀元1~2世紀に中央アジア・西域地方を経て後漢時代の中国に伝播するのとほぼ同時期に、チベットを経て、四川地方の中国に到着しています。
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慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その35-

○二月二十一日、早朝、発ちてゆく。遣唐使従者粟田家継は先日、物を買うために船を下りて市に往く。所由すなわち係の役人が捉縛して州役所に抑留されたが、今日釈放されてここに来た。同じく第四舶の射手も免ぜられて到着した。江陽県の廻船堰に到って夜宿した。
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古典会だより-お盆さん-

近年、考古学の発展はめざましく、沖縄県での約2万4000~1万6000年前の旧石器時代、或いは千葉県千葉市の特別史跡加曽利貝塚の縄文時代中期から晩期(約3000年前)の発掘遺跡などから、日本では可能な限り、死者を丁寧に葬り、その後も、共に生き続けてきました。七月は盆月とも言われ、旧暦では秋のはじめ、所によっては月遅れの八月です。 続きを読む