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古典会だより-菊-

キク科の中でも代表的で美しい花の総称。多年草で、茎の下部は木質化しますが、草本ですから草冠が付きます。菊は漢字の音が「きく」、日本語の呼び方も「きく」です。中国では50万年以上も昔の菊の原種の化石が発見されており、菊は花の美しさのみならず、香りの良さも相俟って不老長寿の霊的な薬草として尊ばれました。奈良時代に日本に伝わった菊は、観賞用としてではなく薬草としてでした。あきのはな・いなでぐさ・ちぎりぐさ・かたみぐさ・よわいぐさ・ももよぐさなどとも言われ、また香りの良さから隠君子、延年、延寿客とも言われました。
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【漢字講座】第33 子(ね、ねずみ)

本年の干支は子(ね、ねずみ)、子の音はシです。象形文字で人の頭と手足の形とに象ります。また赤ちゃんが揺り籠の中に足を合わせた格好で丸くなっている形とも言います。宮詣での赤ちゃんを想像してください。本義は父母の間に生まれた子供さんを意味します。本来、男女を問わずすべて子ですが、儒教倫理と男系優先の家族制度が確立した二二〇〇前の秦漢時代より、中国では子は男子に限るという風潮になって今日に及び、2千年以上わたる中華帝国の歴史で皇帝、王になったのは唐(周)武則天ただひとり、彼女も中国史では則天武后とあくまで皇后扱いです。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その23-

仏像の展開 これまで述べた仏像は釈尊中心でした。これが釈尊以外の諸人に造像が展開します。もっとも初期仏教は釈尊とその説法を聞いた直弟子だけでした。直弟子たちは釈尊のお顔を見て説法を聞きました。しかし、釈尊のお顔を見ることの出来る人は限られています。耳で聞く人は見る人より多いのです。耳で聞いた人は他の人に聞いたことを口で話します。それを聞いた人はまた他の人に話します。『妙法蓮華経』法師功徳品に次の一節があります。
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慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その37-

○二月二十七日、留学僧は揚州に向くために随身物を安排(整理)した。朝の斎食後、日本国大使は留学僧に東絁①三十五疋・帖綿十畳・長綿六十五屯②・砂金二十五両大両③を賜り、学問料に宛てしめた。朝貢使は勾当王友真に酒を賜り飲ませ、別れを惜しんだ。 続きを読む

古典会だより-秋の七草 おみなえし(女郎花)-

万葉集』に山上憶良(660-733)の「秋の野に 咲きたる花を 指折り かきかぞふれば 七種の花」「萩の花、尾花、葛花、瞿麦の花、女郎花、また藤袴、朝顔の花」とありますが、秋の七草は日本固有種で、「ハギ、ススキ、キキョウ、ナデシコ、オミナエシ、クズ、フジバカマこれぞ七草」と親しみ口づさまれ、千三百年以上も前から観賞用として姿、形、香りの良さが愛されて来ましたが、食用、薬用、建築工芸用にと、実に多様で有用なものでした。
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【漢字講座】第32 菊(きく)

秋の花は何と言っても菊です。今回は菊という漢字を考えてみます。
菊は草本ですので草冠が付きます。その下に真ん中に米の字を包むように大きな丸い花が見えます。いかにも菊らしい漢字です。ちなみに漢字の音が同じの麹という字は米に花が咲いたように見える漢字ですが、麦偏だから麦麹です。
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釈迦如来、お釈迦さまの話-その22-

仏像の意味 これまで述べたことをまとめながら考えます。ただ、ここでは当面、釈迦如来、お釈迦さまの仏像に限って考察します。インド古代初期ではもっぱら釈迦の伝記、本生話のような仏教説話図を扱った浮彫、レリーフが行われ、これは北伝・南伝、上座部系仏教、大乗仏教の差異なくその後永く継承されました。遺例はたいてい石造建築や石窟に付随して存在します。しかし仏像が出現し、その崇拝が盛んになると共に、彫刻は主として釈迦像、仏陀以下諸尊の仏像の制作に集中するようになりました。 続きを読む

慈覚大師円仁讃仰「入唐求法巡礼行記」研究-その36-

○二月二十五日、真言請益僧円行法師①に相見えた。法師が語っていうには、「遣唐大使は京にあって再三、自分の請益のため寺裏に住せることを願い上奏したが許可されなかった。後にまた上奏したが僅かに青竜寺②に住することだけが許された。義真座主③の所において、十五日に胎蔵法を受け④、百僧に供養⑤したのだが金剛界法を受けなかった」と。
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古典会だより-お彼岸(ひがん)-

旧暦二月と八月(現行三月と九月)は彼岸月とも呼ばれます。地球の中心軸、地軸は23・5度南北に傾いており、自転(自分でまわる)して、昼夜を生じ、一年かけて太陽のまわりをまわり(公転)ます。日本は北半球のちょうど適度の緯度の位置にあるお蔭で春・夏・秋・冬の四季の恵みにあずかっています。また春と秋に2回太陽と地球が真横の位置になり、北と南に多少のズレはあるものの、日は真東から昇り、真西に沈み、しかも昼と夜の長さが同じになる、その日が春分・秋分です。三月二十一日ころの春分、九月二十三日ころの秋分の日の前後三日間を含めた七日間を彼岸と言い、初日を入(い)り、春分・秋分の日はお中日(ちゅうにち)、最後の日は明(あ)けと言われます。春分は、冬至から太陽が少しずつ勢いを増して来て、夜と昼の長さ、寒暖の差が変転する分岐点であり、秋分は、夏至から猛威を奮った太陽が勢いを弱め、昼と夜の長さ、暑さ寒さの節目と考えられ、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われます。時には「なに事ぞ彼岸過ぎてのこの暑(寒)さ」もありますが。
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